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あの電灯

 20130902_180403

ちょうど例の電灯が光始めていた。

最近は上を向いて歩くことが多い。

雲の形がとても面白い。

小さい雨雲がものすごい速さで流れて行く様は、いつ見ても不思議だ。

常に新しいものを発見する事が長い時間を生きるコツだと考えている僕は、通勤や帰り道ではいつもと違うところに目をやるようにしている。

今日は帰り道に電線を見ていた。

同じ場所を何本も張っている電線は、角度を変えてみると、譜面のように見えてくる。

音符のない譜面。

僕は笑っていた。

 

学生の頃、「実は、世界は背景の白い線画だけで出来ていて、それに色を塗っているのは自分」というのを考えた事がある。

これは太宰治の「人間失格」にあった「陸橋は遊具として設置されたものだと思い込んでいた」のような文章だったかな?それから影響を受けている。

つまり、物事に対しての意味だとか、他人の心だとか、そういったものには必ず、それを見ている自分の考えしか存在しないということだ。

それが自分の考えに反した存在だったとしても、それを見ている自分がそう見ている限り、それは自分の考えと同じ存在となるのだ。

しかし、線画に塗る色はどうするか。

自分の持っている絵の具の種類は限られている。

様々な色を出すには、他人の存在が欠かせない。

他人の色を分けてもらい、そこから自分の色を作るのだ。

主観だけではなく、客観を取り入れる事によって、世界は鮮やかな色を作るのだ。

 

…と言った具合に、学生の頃はそんな自分の考えに酔っていたことを思い出し、少し笑ったのだった。

音符の無い譜面が、「背景の白い線画の世界」というのを連想させたのだ。

階段を降りながらそんな事を思いだしていると、一段踏み外しそうになった。

いつもと違う場所を見るのもいいが、目の前の事に注意しないとこうなる。

時々下を見て歩くのもまた必要なのだろう。

 

おわり