久しぶりの写真とお盆

最近、あまりブログを更新できなかった…。

爺ちゃんが入院したり、お盆だったりと…。

今日は落ち着いたので、久々に上野公園に行って写真を撮ってきました。

お盆の事について話すついでに見てくださいね。

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土曜日に、送り盆をやるから一緒に来な~と婆ちゃんに言われ、久しぶりに婆ちゃんの田舎へと向かった。

場所は栃木県。

最後に来たのは小学生の時だったかな?

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前に来た時は、親戚とかがたくさん来ていて、一軒に集合して、ワイワイやっていたんだけど、親戚のほとんどが亡くなってしまっていて、今や僕たちと、もう一家の親戚しかいなかった。

しかも、いつも集まっていた家も、今や誰も住んでいないらしい。

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向かえ盆はもう済んでいたようで、今回は送り盆のようだ。

僕は盆の習慣に無頓着だったし、向かえ盆やら送り盆やらの意味が分からなかった。

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向かえ盆は、霊をお墓まで向かえに行くことらしい。

そこで、提灯を灯して、火が消えないように、家まで送ってあげる。

それが向かえ盆。

送り盆は、その霊をお墓に還してあげるもの。

向かえ盆と逆な事をするらしい。

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親戚の家でごちそうになって、午後、お墓へと出発した。

午前中は駄目らしい。

そう言えば昔、向かえ盆をやったのを思い出した。

婆ちゃんに「今、あんたの背中にご先祖様が乗ってるから、しっかり支えてあげな」と言われて、おんぶの格好をしたっけ。

あの頃から、別に幽霊は怖くなかったのかな?

 

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途中、いつも集まる家へと寄った。

草はボーボーで、入り口が何処にあるのかさえも分からなかった。

「涙がでそう」

なんて、婆ちゃんが言っていたけど、確かに、なんだか寂しい感じだ。

ご近所からは「火事になったら危ない」と言われている。

あんなに人が集まっていた場所も、今では邪魔扱いされていて、それもまた、時の流れを感じさせた。

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お墓は凄く立派なものだった。

昔みた頃より、立札のようなものが多くなっていた。

線香をあげ、花をあげ、水をあげ。

僕も婆ちゃんがする事を見様見真似で手伝っていた。

親戚がお餅を置いたが、すぐに回収してしまった。

「お墓の人がね、鳥とかが荒らすから、食べ物を置いちゃいけないって言うのよ」

これもまた、時代の流れなのだろう。

僕の書いている小説でも、未来の世界で線香が禁止され、電気化されている。

あながち、ありえなくはないんだろうなぁと、手を合わせながら思っていた。

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僕は死後の世界とか、仏とかを、実は信じていない。

だから、お盆の話が来た時、正直申し訳ないと思った。

でも、今回のことで、なんとなく分かった気がする。

昔の人の思想とか、そういうのではなくて、この文化は、いつまでも続くのだろうなって。

形がどうあれ、亡き人を忘れないようにするのが、この文化なんだろうなぁ。

僕も、いつかは死ぬ。

昔、考えていたのは、僕が死んだら、その世界は終わるって事。

自分勝手だけど、自分が干渉できなければ、もうその世界は意味のないものだと思っていた。

でも、やっぱり世界はいつまでも動いているわけで、僕が生きていたことなんて、誰もが忘れてしまう。

だから、歴史の教科書とか、国語の教科書に載りたいな~なんて考えていた。

今回の件で、死んでしまっても、誰かが想ってくれれば、それでいい気がしてきた。

家族でも、友人でも、誰でも。

僕が精一杯生きたってことを、死んでもなお世界があるなら、僕はその中でだけでも、現世に残っていたい。

そう思った時、僕は幽霊の正体を漠然とだけど、認めた気がした。

「幽霊は、人がいるところにしか現れない」

高校の授業で、幽霊の正体を議論した時にでたものだ。

そうであれば、やはりあれは、現世に残っていたいという亡き意思を認めた、第三者の見た幻影だったのかもしれない。

もしくは、亡き者を忘れまいとした、強い意思の生み出した幻影…って、結局は幻影なんじゃないか…。

だったら僕も、幽霊として現世に生み出されるくらい、強く、誰かの印象に残り、そして、生きる事に貪欲になるとしよう。

 

明日も強く生きる!

 

ではでは!