自殺する心理とはなんなのか
日曜日。
写真を撮らなきゃという使命感に駆られて、訪れたのは東向島の向島百花園。
マイナーな街だけど(家賃が安かったり)、鉄道博物館とかもあって、知る人ぞ知るエリアである。
特に触れる事も無いので、ちょっと疑問に思った事をつらつらと書いていくかな。
タイトルにある通り、自殺する心理について考える。
こういうのを考えるのが凄い好きなのよね。
まず、自殺という行動が人間だけのものか調べて見た。
その結果、どうやら動物にも自殺がある模様。
そのほとんどがストレスによるものだった。
ずっと人間特有のものだと思っていたから意外だった。
ということは、人間が自殺する心理と言うものは、動物的な本能というか、そう言うところにあるのだと考えた。
「生活が苦しくて自殺」などが最近の人間には見られる。
つまり、苦しみから逃れる為に自殺するのだ。
しかし、人間は生きてナンボのものではないのか?
「生きてナンボという精神が人間にあるのなら、自殺なんかしない」
2chでスレッドを立てたらそう言われた。
なるほど。
僕自身、人間の生きる目的が「子孫を残す」ことと「生きる」ことだと思っていたから、これも意外な答えだった。
しかし、その中でもう一つの考え方が出た。
「生存本能があると仮定するのなら、自殺する心理とは、何かしらのエラーが発生して起きたものでは?」
というもの。
エラー。
つまり、正常ではないこと。
正常な人間は、自殺しない?
確かに、自殺する人間の中には鬱状態の人間も多い。
イルカが自殺したという記事にも、「イルカは鬱状態で…」と書かれていた。
そうなると怖い。
自殺とは、防ぎようの無いものであり、誰にでも起こる可能性があるということだ。
と、ここまではいいとして、ある疑問が新たに出る。
石器時代などに自殺はありえたか?
というものだ。
もし、エラー説が正しければ、いつの時代も自殺はあり得ただろう。
それにしても、現代での自殺というのは、あまりにも多い気がする。
エラーが起こりやすくなったのだろうか?
エラーを起こす頻度を少なくしたり、なくしたりする事は出来ないのか?
実の所、僕はエラー説を信じていない。
ここまで引っ張ってきて言うのも何だけれどね…。
自殺するメカニズムを理解できれば、僕は自殺を防ぐ事が出来るのはないかと考えている。
エラー説で言えば、防ぐ事は出来ない。
そんな事は可笑しい。
自殺する者には、自殺を強いられる心理があるはずなのだ。
これは行動の全てに言える事で、「これをしよう」という心理の裏には、それを強いる心理が存在していると僕は考える。
その強いているものは「金」とか「失恋」とか、さまざまである。
価値観。
それが全てを支配している。
動物のように「痛み」とか「苦しみ」で死を選ぶのは、ある意味では自殺ではない。
それはあくまで体のメカニズムだ。
価値観による自殺にもそれが言えるかもしれないが、我々は人間であって、メカニズムを理解して支配する知能がある。
人間のメカニズムは複雑だ。
「苦しみ」一つとっても、そこから無限に枝分かれする。
色んな価値感が交差する現代は特に。
現代のように裕福な人間の心理には「最低限、ここは守って生活したい」というものが存在しているのではないかと考える。
それが叶わなくなり、人は自殺する…。
価値観による自殺だ。
何にしてもこれは当てはまる。
ということはだ、結局の所、苦しみ(総称)によって自殺するということだ。
その痛みを動物以上に受けるところが多い人間は、自殺しやすい。
そして、価値観の数だけ、自殺する可能性を持った者が出る。
故に、現代のような価値感が多い時代は、自殺する者が多いということだ。
裕福になればなるほど、価値観は増え、そして、世界が広がれば広がるほど、理想は大きくなる。
なんと皮肉な。
人間が自殺を選ばない方法は、色々あるだろうけれど、やはり「死なないこと」を価値観として持ち続ける事だと思う。
生きていさえすれば、それでOK!
楽観的とか、色々批判は受けそうだけれどね。
それでも、死んでしまったら、その時点で価値もクソもなくなってしまうのだ。
価値観を大切にしようとしている人間が、価値観の為に価値観を捨て、死ぬなんて可笑しな話は無い。
どんなにクソでしょぼい価値観でもいい。
死ぬより一万倍も良いことじゃないか。
それでも死ぬ人間がいるというのは、やっぱり死ぬ者にしかその心理は分からない。
だからといって、それを知りたいかというと、それはない。
生きる事に価値観を持っている僕にはいらないものだ。
次は何について考えようか。
ではでは!