「さようなら」は、また会うための言葉
よく、二度と会えないというようなシーンで「さようなら」って見るけれど、さようならって、「左様ならば、また会いましょう」ってことで使われたらしいんだよね。
「別れ」というと、どうしてもネガティブに考えてしまう。
だけれど、本当はもっと美しいものな気がする。
日本人だけなのかな?
桜が散る虚しさとか、人の死に対する悲しみに美しさを見出すのって。
どうも、死とか別れっていうのは、美しさが絡む気がする。
散り際を美しく飾りたい。
僕はまだ死んでないし、死にそうになったことはないけれど、きっと、死ぬ直前には、綺麗でありたいと思うはずだし、その通り行動すると思う。
どうしてだろうね。
こればかりは、僕自身もどうしてそう思うのか分からない。
けれど、桜の散る美しさを感じたり、人の死ぬ前の言葉に涙する辺り、なにかあるんだろうなぁ。
僕が死んだら、誰かがそこに美しさを感じてくれると嬉しい。
没記事・没写真!
次回はちゃんとした記事を書きたい……。
ではでは!