モノクロの美しさ
昨日に引き続き、今回も猛暑の中、写真を撮ってきました。
今回はモノクロで超広角レンズ縛りです。
モノクロって、やっぱりフィルムが一番なのだろうなぁとは思うけれど、やっぱり撮ってみたくなっちゃう。
前にカメラ博物館に行った時、隣でやってた個展にモノクロ写真がたくさんあった。
やっぱりカッコいいよ。
モノクロのポートレートが一番かっこいい。
人って、情報が多ければ多いほど、美しさを見出せなくなる。
機能美って言葉があるけれど、それと一緒で、単純なものほど美しく感じる。
故に、モノクロの世界でのポートレートって、その人の表情とかがメインになるから、美しく感じる。
そこに色が存在したら、なんとなくだけれど、美しさはかけてしまうと思う。
モノクロで難しいなって思ったのは、光の取り込み方。
普通に撮影してても難しいと感じるのに、モノクロだと、影の部分が真っ黒になってしまう。
広く撮ろうと、F値を上げると、影が真っ黒に。
晴れていれば、SSで調整できるのだけれど、中々難しい。
ただ、モノクロだから、ISOを上げても、ノイズがあまり気にならないので、そこでカバーすればある程度は上手くいく印象。
逆にノイズを乗らせて、フィルムっぽくするのもありかも。
結構いいかもしれない。
しばらくはモノクロで頑張ってみるのも手かな。
PS.
最近、会社の研修の関係で、いろんな人の心理に触れ合うような機会が増えた。
班を作って、4週間、お互いの悩みというか、苦手だと思う事を解消してゆき、それに対して報告し、肯定的ストローク(感想とかアドバイスとか)を言い合うっていうものなのだけれど、皆悩んできたことを解消するために試行錯誤しているのを見ると、やっぱり誰かが声をかけて、一緒に悩んであげた方がいいんだろうなぁって思う。
僕の班の中にも、言われて初めて気づいた人もいるし、言った方も、自分の行動と照らし合わせて新しい発見をしたりしていた。
自分では完璧だとか、譲れない正義とかあっても、それが今見ている世界で通用するとは限らない。
当たり前だけれど、他人と触れ合って初めて「そうするべき」と判断しなければいけない。
自分の中で完結していても、誰もその道筋を辿らなければ、一生理解されない。
どんな天才も、どんな完璧な理論も、誰かに知られなきゃ意味がない。
宝の持ち腐れってやつだ。
これだけネットが普及して、youtubeとかTwitterとか、色んな場面で活躍する人が出てきたけれど、なんというか、ちょっと間違った方向に行っている気がする。
確かに、誰かに見られなければ、実力も腐る。
実力があるから皆に見てもらって、「確かに」という裏付けを貰う。
なのに、今は実力がないけれど、目立つことに執着している。
勘違いしてはいけないのは、目立つ人がもてはやされているのではなくて、目立ったうえで実力がある人がもてはやされる。
youtuberとかいう人達が一番それに近い。
商品紹介が受けているのを見て、自分も商品紹介しようと動画を撮る。
対して面白くもないくせに。
商品紹介をしていることが面白いんじゃなくて、面白い人が商品紹介しているだけ。
別に商品紹介じゃなくても、面白い人は面白いし、つまらない奴は何をやってもつまらない。
小学生とか中学生とかyoutuberで商品紹介している子が多いけれど、顔をネットに晒してまで面白くもない動画を垂れ流すことに何の意味があるのだろうか。
大体そういう子達は、アンチが付くとキレる。
面白くないという現実から目を背けようとする。
いい加減気が付いた方がいい。
何度も言うけれど、これをやったら面白い! というものは滅多にないし、商品紹介だゲーム実況だというものは、それに含まれない。
やってる人が全て。
顔を晒す度胸があるのなら、炎上商法やった方がまだマシだ。
とはいえ、炎上商法でちゃんとやっていけている人っていうのは、大体面白い人なのだけれど。
なんとなく間違ってるなぁと思ったら声をかけてあげることも必要だし、他人の声に耳を傾けるのも必要。
ではでは!